イビシム村という、炎の巨竜を信仰する中規模な村が存在する。
ノーベス大陸の最南端にある都市メノリエから、北西に進んだところにある村だ。
付近には大きな活火山が存在しており、その麓には深い緑が生い茂りまるでジャングルのように多種多様な生態環境があった。その広大な自然にこのイビシム村は囲まれている。
数年周期でこの大陸を渡り飛ぶ炎の巨竜の安息地でもあり、それに関する文献も数多くここには残されていた。
それ目当てに足を運ぶものも多く、この地は一種の観光地ともなっている。
そこへディラン一行は訪れたわけだが…
「逃げろぉ!火事だ!!」
村のあちらこちらから火の手が上がっている
上空は煙が蔓延り村に影を差していた
木材が焦げて爆ぜる音
燃え盛る炎の熱気が伝わってくる
老若男女の怒声や悲鳴が上がり、全員が全員パニックに陥っていた。
村の外れで唖然としているディラン達に村人の一人が避難を呼びかける。
村人「観光に来たとこ悪いが早く逃げてくれ!」
アダム「一体何が起こっている」
説明している暇はないんだ、と返した村人がはたと何かに気付く。
村人「もしかしてアンタら魔術師か?!手を貸してくれ…!イバンカの子が暴れ回っているんだ!」
音葉「ほ、炎の巨竜の子がですか…?どうして…」
村人「先日知らねぇやつらが炎の巨竜を捕獲して連れてっちまったのが原因だと思うんだが、俺達にはどうすればいいのかわからない…!」
ディラン「えっ、炎の巨竜が…!?」
にわかには信じ難い話だ。
ディランは一瞬狼狽えたが、協力するよと頷いた。
とりあえずは逃げ遅れた人達の避難を優先するべきだ。
村の炎は刻一刻と勢いを増している。
逃げ遅れた人達を誘導するディラン。
怪我をし歩けなくなった人をアダムは安全な場所まで運ぶ。
村の近くに湖があることに気付いた音葉はそれを使い鎮火を試みようと駆け出したが…
咆哮が響き渡る。
燻る硝煙の中から、大きな影が飛び出した。
竜だ。水晶のような金色の目をギラつかせ、燃え盛る炎のごとき真紅の鱗を身に纏った竜だった。
燃ゆる巨大な翼を羽ばたかせると音葉を狙い突撃してくる。
体高5mもの巨体を前に音葉は体が硬直してしまった。
冗談じゃない、この大きさでまだ幼体だなんて__
ディラン「音葉っ!!」
竜と音葉の間に割って現れた透き通る巨大な壁。
鈍い金属音が鳴り響き、衝撃波で舞う砂煙。
頭を打ち付け錯乱した竜は、再度咆哮を上げると羽ばたいて炎の中へと戻っていった。
役目を終えた半透明の壁が、ガラス破片のように細かに砕け光と化して散る。
その向こうでディランが血を吐いたのを音葉は見た。
音葉「先生っ!」
ディラン「大丈夫、これぐらい…」
大した量じゃない、と口端に伝う血を雑に拭う。
燃え盛る村を見据えるディランのその瞳にはどこか決意めいたものがあった。
竜が戻ってくる様子はない。森に燃え広がるまでまだ時間がある。
ディラン「音葉、消火を頼めるかい」
音葉「…っはい!」
「いやぁ!離して!」
悲痛な叫び声が劈く。
炎へと飛び込もうとする女を村人達が抑えているようだった。
「まだ子供が中にいるの!!」
女は泣いている。実の娘を置いてきてしまったのだと、齢十にも満たない子が炎の中にいるとそう泣き咽ぶ。
この炎の海の向こうに__
「失ったらもう戻ってこないのよ!?止めないで!!」
「お願い、行かせて!!愛する私の娘が…どうか、どうかッ」
それを聞いていたのだろう、アダムが息を詰めた。
嫌な汗で全身の毛穴が開いていくような感覚
言いしれない衝動はその足を動かし
彼は燃え盛る海へと飛び込んだ。
パチパチとあちらこちらで爆ぜる火。
辺りを一変を埋め尽くす揺らめく炎と眩い火の光。
息をする度入る、肺を焦がすような熱。
酷く熱く、息苦しい。
アダムは魔術を組み合わせ呼吸する為の空気を確保する。
上がる火の手を避けながら、燃え盛る村の中を走っていた。
走りながら、彼は思考し続ける。
どうして赤の他人の為に、こんな場所に飛び込んでしまったんだったか。
人助け?いや…いても経ってもいられなくなった、そういう衝動に抗えなかった。
何故か後悔すると思ってしまったからだ
彼女を失くしてしまうと…
__彼女?一体誰のことを…
霞がかかった記憶が少しづつ晴れていく感覚。
倒壊する家屋により舞い上がる炎の向こうで、薄ら見えた姿。
控えめに靡く赤い髪。
涙を浮かべたその赤い瞳がこちらを見つめている。
アダム「アグネス…」
知らない名を口にする自分にアダムは戸惑った
__本当に、知らない名か?
自問自答を繰り返した末に、紐解かれていく記憶の封…
姿が見えた場所へとアダムは歩みを進める。
幸いにも火に巻き込まれない場に、見知らぬ少女は倒れていた。
女が探していた子供はこの子で間違いないだろう。
気を失っている。目立った外傷はない。
酸素を確保するための魔術をかけアダムはその少女を抱きかかえた。
そこへ、行く手を阻むように竜が舞い降りる。
燃える翼の羽ばたきが熱波を起こし、彼らをあおる。
溶岩を閉じ込めたような鉤爪を地に食い込ませ、その竜は吼えた。
轟くような咆哮に空気が震え、周囲で強く揺らぐ炎の壁。
よほど興奮しているのだろう、荒い鼻息が数メートル先からでも聞こえてくる。
猛る炎の海に囲まれ、少女を抱えながら竜と相対している。
武器もなく、調子も万全とはいえない。
…だが、これぐらいのハンデを負ってようやくとんとんなのだという。
たとえあの巨竜の子とはいえ、竜一匹では相手にならないと。
彼はさも当然かのように言うのだ。
隣で燃える木が倒れ、火の粉が踊った。
「な、なんだあれは…」
火の手から逃げ仰せた村人達はその光景に目を見開き、唖然として眺めていた。
村を覆うようにして上空で巨大な水の塊が浮かんでいるのだ。
杖をかかげそれらを一人で操っていたのは音葉だった。
彼女は湖の水を使い、雨を降らせて鎮火する算段を立てている。
だが、水の塊を村の上空に持ってきたはいいものの、そこから雨を降らせることに手こずっていた。
このまま水を塊で直に落とす訳にはいかない。
津波並の二次被害をもたらす可能性があるからだ。
彼女は事細かな操作や繊細さを求められる魔術が不得意だった。
地や水、草や火を大きく操るのを造作もなくやってのけてしまうが、こういった複雑なものは未だに上手く扱えない。
今でも中心で竜が暴れているのか、地響きと咆哮がこの位置にまで聞こえてくる。
早くしないと火が広がってしまう。
上手くいかずこのまま村に被害を与えてしまったらどうしよう。
焦燥感、不安。
腕が震え、音葉の額に冷や汗が伝う。
突然、ドンと爆発したかのごとく轟く低い音
炎の海の中央で、とんでもなく大きな火柱が立ったのだ。
一瞬にして周囲を照らしたそれは、上空の水の塊に穴を開け天をも突き刺した。
鉄をも容易く溶かせそうな圧倒的火力を目の当たりにし上がる村人らの悲鳴。
音葉「っ!!だめ!」
火柱はすぐに消えたものの、音葉も動じてしまったのか水の塊へのコントロールがブレる寸前だった。
ディラン「落ち着いて」
穏やかな声が音葉のすぐ後ろから聞こえてきた。
震えた腕を宥めるように、ディランの手が杖を握る手に重なる。
ディラン「大丈夫、君なら出来るよ」
いつもの、優しげな声色。
魔力の乱れが抑えられていく。
ディラン「ちゃんとイメージするんだ…集中して」
いつの間にか上がっていた息が平静を取り戻す。
それに呼応するように、ポツポツと雨が降り出した。
瞬く間にその雨は勢いを増し、豪雨となって村の炎を鎮火していく。
強ばった体から力が抜けた音葉はよろつき、後ろにいたディランにもたれた。
ディラン「…よかった」
火が収まった光景を見てディランの口からもれる安堵の息。
ざーざーと降りつける雨は二人の体を冷やしていった。
火は全て鎮火され、ひとしきり豪雨も降りきった。
焦げた臭いは未だ周囲に漂えど、事態が収束したのは明らかだろう。
母親であろう女が生還した娘を泣きながら抱きしめていた。
「あんさんら、本当に助かったよ」
「本当になんてお礼を言ったらいいものか」
ディラン「やるべき事をしたまでだよ。死傷者が出なかったのは幸運だったね…」
村の人々に囲まれている中で、ディランは感謝されているのとはまた違うざわつきを感じていた。
原因は明白なのだけど…と、隣にいる彼を見やる。
ディラン「ところでアダムくん…えっと、なんだろう…色々と何があったの?」
アダム「どれを指している」
ディラン「うーんと、髪色とか雰囲気とか色々気になるけど…先に…そうだね…その後ろの竜は?」
彼はあっけからんと言った様子でいつも通りにしているが、大きな竜が彼の腹や背に鼻先を押し付けてはぐるぐると喉を鳴らしている。
どこからどう見ても甘えているときのそれだ…
一体何があったというのだろうか。
アダム「知らん。手懐けた」
ディラン「手懐けた??その子さっきまで暴れてたイバンカの子竜じゃないかい?」
アダム「さぁな。威嚇のつもりで火力を出してからずっとこれだ」
ディラン「もしかしてさっきの火柱は君の仕業だったの!?」
どうやら先程、天高く上がったあの火柱の正体は彼が魔術で放ったものだった。
ディラン「どうりで…多分だけど君、親だと思われてるよ」
アダム「何故に…」
ディラン「イバンカは躾であれぐらいの火力を出すって云われているんだよね」
「俺も炎の巨竜自身が帰ってきたのかと思ったぜ。すげーよニーチャン」
ディラン「あの威力の炎を出せるのって竜でも中々いないからね…」
つまり竜は火柱を見て彼は親もしくは親と同等のものだと思ったのだろう。親が連れ去られた今ならなおさらな話である。
アダム「して、巨竜を攫ったのはどんな奴らだった?」
村人たちが当時の出来事を語った。
曰く、大船に乗って海岸に現れ、鎧を着ていた者が多く降りてきたと。その中に魔術師がおり、無理矢理イバンカを従わせ船に乗せて連れ去ったのだという。
海の波とそれを泳ぐ竜のマークが彼らの旗印だった。
アダム「ふむ…心当たりがある。…急がねばなるまいな。」
ディラン「もしかしてだけど、雰囲気も変わったのって何か思い出せたから?」
アダム「あぁ、全てな」
彼が目を細め不敵に笑む。
月緋「改めて名乗ろう。我が名は暁龍月緋。
朧帝国の一武将だ」
朧帝国。セベロヴァスト大陸の中央に位置する大きな帝国だ。その武将だというのなら、彼が戦闘面に長けているのも納得いく。
おぉ…!と感動するディランの傍らで、何かに気付いたのか音葉が背に隠れるように一歩下がった。
ディラン「記憶を取り戻したんだね!良かった…!ほんとうに良かったよ…!」
月緋「おかげさまでな」
ディラン「それで、これから君はどうするんだい?さっき急がなきゃいけないって…」
月緋「炎の巨竜を使って俺の国に戦争をけしかけるつもりだろうな。一刻も早く帰らねばならん。」
ディラン「それは大変だ…!そっか…じゃあここでお別れだね」
月緋「先生と音葉には世話になったな。この恩は必ず返すと約束しよう。」
彼は竜に向き合うと、竜は待ちわびていたかのように月緋の手に頭をグイグイと押し付けた。
月緋が竜の頭を目元をと撫でながら語る。
月緋「イバンカは親子でノーベス大陸を渡り飛んでいるのだったな。ちょうど良い。親がいなくとも飛べるよう躾けてやろう。そのついでに、北の港まで乗っていこうと考えている。」
ディラン「名案ではあるけど、心配だね。わかっていると思うけど、君の視界はもうほとんど機能していない。」
ディランが彼の目を見据える。
正しくは、その色彩を失くした双眸を。
月緋「あぁ。そうだな…厄介な後遺症だ。」
ディラン「そこで、君にはこれをあげるよ。」
ディランがポケットから何やら取り出す。
それは小さな赤い魔鉱石がはめられたペンダントで、術を複数回に分けてかけると月緋の手に握らせた。
ディラン「クールタイムは長いけど、一時的に視界を補助してくれる魔術をかけたものだよ。気休めにしかならないけど…」
月緋「何から何まで…感謝する。」
月緋「なら、俺からは先生にこれを授けよう」
おもむろに差し出された掌の上で、魔力が渦のような模様を描きながら集まる。
ディラン「…!無からの錬成魔術…!?」
やがてそれは形を成し、一つの小さな鍵が生成された。
ディランは驚きを隠せないといった様子で月緋の顔と鍵を交互に見ている。
月緋「エズベラにある図書施設を訪れるといい。」
今度は月緋がディランの手に鍵を握らせた。
月緋「人喰い竜の手がかりになるものがそこにあるだろう」
ディラン「…!ありがとう、月緋くん」
月緋「ふ…俺をそう呼べる者はなかなかいないぞ」
ディラン「えっ、あっ、ごめんね!ずっとアダムくんって、くん付けで呼んでたから…」
月緋「気にしておらん。
あの図書施設の奥は厳重に管理されているが…トランテスタ魔術学校の教師であった先生なら入れるだろう」
ディラン「はは…"元"教師、だね」
そう言うディランの微笑みはどこか寂寞としていた。
ディラン「月緋くん…身体能力も高いし高度な魔術も扱えるし古代語も読めるし…本当に凄いね」
月緋「武将ならこれぐらい当然だ」
チラリとディランの後ろを一瞥する月緋。
月緋「音葉。敵でなければ俺は取って食ったりせん」
名を呼ばれビクリと体を強ばらせた音葉は、ディランの背に半身を隠したまま恐る恐る声を出す。
音葉「わ、私の知っているあの軍の武将は…人間です…」
月緋「あぁ、…ゆえに、俺が魔術を扱えることは秘密だ」
いいな?と温和な声で確認する月緋に音葉はコクコクと頷いた。
雨が上がり、すっかりと晴れた空。
暖かな風が彼らを撫でて通り過ぎていく。
海の地平線から照る夕焼けが、彼の髪を繻子のような緋色に透かしていた。
ディラン「ねぇ!月緋くん!最後に一個いいかい!」
竜に騎乗した彼にディランが声をかける。
月緋「なんだ」
ディラン「短い間だったけど、君と一緒に旅が出来て良かった!楽しかったよ」
音葉「私も、た、楽しかったです!」
ディランと音葉は彼を真っ直ぐ見つめていた。
月緋が口元を緩める。
月緋「…あぁ、俺も楽しかった」