打ち寄せられた波が白い吹雪のような水飛沫となって崖にぶつかる。
上昇した潮風のその先に、建造物があった。
トランテスタ魔術学校。
魔術界の最大機関。
その歴史は古く、魔術を教える教育機関ではトップクラスの魔術名門校。
そして、魔術に関する書物の宝物庫でもあり、指折りの魔術師達が日々研究を重ねる最先端の研究施設でもある。
晴天。
目が痛くなるほど青い広大な空にウミカモメが羽ばたき、みゃあ、みゃあと鳴いている。
食堂のバルコニーでは二人の教師が、生徒達のはしゃぐ声を聞きながらカトラリーを動かしている。
ネージュ「普通なら潮風で髪がベタベタになってしまうんだけど…」
そよ風に目を細めてネージュが言う。
ディラン「学校の敷地全体に結界が張ってあるからかな。心地いい風しか来ないよ」
ネージュの目の前で水平線を眺めているディランが返す。
二人はのんびりと食事をしながら景色を楽しんでいた。
ネージュ「ここに来るといつも海を眺めているね。」
ディラン「この席には滅多に座れないし、なにより海を見てると落ち着くんだ」
ネージュ「…君の父が言った通り本当に海から生まれたんじゃないのか?」
目の前の、一瞬でも目を離せばその持ち主ごと海の深みに溶け込んでしまいそうな髪を見ながら、ネージュはついそう問いかけてしまう。
ディランも目を瞬かせて視線を彼へと向けた。
ディラン「…私が浜辺で拾われた時の話をしてる?」
ネージュ「名前もそれにちなんでつけてもらったって前に話してたね。海の息子、って」
ディラン「素敵な名前だろう?」
ネージュ「あぁ、君にピッタリだと思うよ」
嬉しそうにはにかむディランに、ネージュもつられて顔を綻ばせた。
しばらく間を置いて、そういえばとネージュが切り出す。
ネージュ「君の父の…ラドさんの捜索は進んでいるのかい」
ディラン「うん、最近また時間が出来たから情報を集めているんだけど…手がかりひとつないよ。」
思い返すのは、ディランの養父であるラドという人物のことだ。
孤児院を経営していた彼は浜辺で茫然としていた幼いディランを拾い、保護した。
我が子のように愛し、才を認め、名門校に通わせ、卒業するまでに育て上げた彼だったが…
…来ると約束した筈のディランの卒業式に姿を現さなかった。
祝福すべき日に、突然行方知れずになってしまったのだ。
ディランを、孤児院をも残して、ラドは忽然と消えた。
もう二十年以上も前の話だ。
… あの日、父に贈るはずだった腕時計はずっと棚に仕舞われたまま。
ネージュ「ディラン、昼食はその魚一尾で足りるのかい?」
重くなった空気を察し、切り替えようとネージュが言う。
綺麗に身を解し美味しそうに食べてはいるが、どう贔屓目に見ても成人男性の昼食には足りない。
ディラン「あ、うん。この食堂の魚料理は美味しいからね。一尾で充分だよ」
ネージュ「君、私が言うのもどうかと思うけど、食事を取らなすぎだよ。
今日はうちにおいで」
ディラン「いや、そこまでしてもらわなくても…」
???「お父さん!今日ディラン先生お家に来るの!?」
わんぱくな声と共に突然、ネージュは後ろから抱きつかれた。
ネージュ「こら、お食事中だよ」
???「ごめんなさい、…見かけたのが嬉しくて」
そう言ってしょんぼりしながら小さな腕を離すのは二年生になったばかりの少年、ウェルンだ。
彼はネージュの養子の一人で、竜人である。
しかし角はなく、代わりに生えているのはふかふかの獣耳と尾。
ネージュ「ウェルン、学校では先生と呼びなさいと…」
ディラン「まぁまぁ、いいじゃないか」
ウェルン「えへへ!それでそれで!今日ディラン先生一緒に夜ご飯食べる?」
ウェルンが目を煌めかせて言う。
ディランのおかげでお叱りを受けずに済んだからなのか、サッと切りかえてしまうところがまだまだ子供らしい。
ディラン「えっと…」
ネージュ「この子も喜ぶし、レンがいなくなってから寂しがってるんだ。」
ディラン「そっか…じゃあ、お言葉に甘えて」
その答えを聞いてやったぁと嬉しそうに耳をパタパタ揺らすウェルンに思わずディランも頬が緩んでしまった。
ウェルン「ねー聞いてディラン先生!
二年生になっても前と同じ先生ばっかりなの!
いつになったらおとーさ、…ネージュ先生は僕の先生をやってくれるの??」
ディラン「四年生になって魔法陣学科を選択したらだね」
ウェルン「じゃあ早く四年生になって、お父さんの授業受けてレンお兄ちゃんみたいにかっこいいまじゅちしになる!」
幼く可愛らしい甘噛みについ、ディランとネージュは微笑んでしまう。
笑われたと勘違いしたウェルンが照れたように少しだけ目を逸らし、むんっと頬を膨らませた。
ディラン「ウェルンくんならなれるさ。
そういえばレンくんは元気かい?」
ネージュ「ああ。セベロヴァストの方で上手くやってるみたいだよ」
ウェルン「次はいつレンお兄ちゃんに会えるかな?」
ネージュ「どうだろうね、レンは忙しいから」
気づけば騒がしかった生徒達の声は随分減り、代わりに校舎へ向かう慌てた足音が薄く聞こえる。
敷地が広いので、予鈴が鳴ってから移動を始めるのでは授業に間に合わない生徒も多いのだ。
今になっても騒いでいる声は遅刻常習犯の生徒のもの。
ネージュ「ほら、そろそろ昼休憩も終わりだ。教室に戻りなさい」
ディラン「次はちょうど私の担当授業だし連れていくよ」
ネージュ「よろしく頼む」
ディラン「じゃあウェルンくん。行こうか」
ウェルン「はぁい!」
ディランが差し出した手をウェルンが掴み、繋いだまま歩き出す。
ウェルンはディランを軸にして小走りで半回転し、にこにこ笑顔で後ろ向きに歩きながら繋いでいない方の手を力いっぱいネージュに振る。
勢いでふらついたディランもすこし笑い、ネージュに向けて小さく手を振った。
もう間もなく鐘も鳴るだろう。