暁龍領が人喰い竜に襲撃されて一ヶ月。
そして、月緋様が失踪してから一ヶ月が経った。
理由はわからない。
ただ突如、暁龍領が襲撃されて数日も経たないうちに、行方を眩まして、
そのまま。
傍に仕えていた者に尋ねても皆、寝室へと向かったのを最後に姿を見ていない。
襲撃事件の収束の為に方針を決めてある程度の指示を出してからではあるものの、書き残しも何も無い。
現場は一時騒然となった。
この事は周りの国へ漏れぬよう徹せよと…
家臣一同をこの場に集めそう取り決めたあの日から一ヶ月が経ったのだ。
会議室にて。
午前も遅い時刻。
柔らかな日差しとそよ風。
会議が開かれている。
睦月「主の不在を聞きつけたのか他国が乗り込んでくるであろう動きがありました。皇帝様から出陣命令ですよ。」
環「乗り込んでくるのは日常茶飯事では?」
睦月「それが、周辺国で同盟を組んだ可能性がある、と…」
霧雨「月緋サマがいないってこと、逆に一ヶ月もよくバレなかったな」
堅苦しい空気はなく、平時のように会議を進めている顔ぶれは以前から変わりない。
みな、各々の管轄を任された月緋様の直属の家臣であり、戦における大将達でもある。
暁龍領の港の防衛と貿易の船団護衛を任されている海上戦特化の霧雨。
朧煌軍が所有する竜の管理を一任されている清風。
雷撃のような速さを活かし各所への伝達や偵察を得意とする雷火。
九重蓮と共に軍全体の魔術練度を上げることに貢献している環。
朧煌軍の総務補佐を務める雪彦。
そして、主様の腹心であり副武将の睦月。
まだまだ情報が足りない書類に視線を落とし、雪彦がため息を吐く。
雪彦「ここぞとばかりに手を組んで落としにくるようで…まったく小賢しい…」
雷火「でも、主がいなくても俺らなら勝てるだろ」
意気揚々と雷火が声を上げた。
懐いた主に実力を認められている自信がそう言わせているのだろう。
だが、環がぽつりと水を差すような言葉を吐く。
環「足並みが揃えば、の話だが…」
それに対して霧雨が呆れたように肩を竦める。
霧雨「おいおい、そりゃまるで月緋サマのいない俺達は信用出来ないみてぇな言い草だな」
環「この時代において無責任に他人を信用するとでも?
まさか、脳内お花畑じゃあるまいし…有り得ないだろ。」
睦月「そもそも俺達、足並み揃えたことありました?」
環「それはお前と月緋様だけじゃないのか」
空気が少しばかりピリピリしてきたのを察知した雪彦は、これ以上雰囲気が悪くなる前にと口を挟んだ。
雪彦「今の我々に指揮役が必要なのは同意します。
それで、睦月殿…貴方副大将なのでしょう?」
睦月「いえ、俺はこういうのが得意ではなゲフンゲフン…。
こういった有事の際に指揮を務めるのは貴方の役割だと主がおっしゃってましたよ。」
雪彦「あの戦闘狂共め…満場一致で俺に全て投げ付けたものだから全員あの場で氷漬けにしてやろうかと思いましたよ…」
苛立ちを隠せない雪彦は分厚い羽織を着直すが…
はて、とその手が止まる。
__いささか肌寒いような…。
見れば触れていた羽織がわずかに白く凍てつき始めていた。
雪彦「いけませんね、つい…これもあの戦闘狂共のせいです」
出来た霜を払い落とし前へと向き直る。
ふと、縁側に佇む女と目が合った。
月緋様より桃色がかった赤髪。
そこから生えた立派とは言えない小さな角が、彼女が竜人であることを示していた。
白桃のような白い肌には似つかわしくない目の下の隈。
そして、どこか不安そうに揺れる赤い瞳。
この様子からして、月緋様が消えてからずっとあの調子なのだろう。
雪彦が耳にしていたよりも、彼女は月緋様に寵愛されていたらしい。
少し話でも聞いてみるべきか、といらぬ老婆心で雪彦が足を進めようとしたその時だ。
何やら騒がしい…悲鳴や怒声が聞こえてくる。
何事かと視線を向けたその先にいたのは__
「ユ、ユキヒコ様ぁぁ!!お助け、くださぁああ!!」
「竜だ!野生の竜が入ってきたぞ!!」
「止めろ!!あの大きい竜を止めろ!!」
気性の荒そうな大型の竜と、悲鳴を上げながらそれに追われる小型の竜。
小型竜の方は小動物程度の大きさの白い毛玉に翼が生えたような、ひどく見覚えのある姿をしている。
あれは雪彦が卵の頃から育てた、従者の竜であるコユキだ。
コユキ「いやぁっ!」
コユキは上空で大型竜の噛みつきを躱すと旋回し、一直線に雪彦の懐へ突撃する。
コユキ「おたすけくださいぃ!」
雪彦「馬鹿者っ!」
強い衝撃もなく雪彦は難なく受け止めるが、問題はそれではない。
狙われていたコユキが雪彦の元へ飛び込んできた今、大型の竜もこちら目掛けて向かってくるのは自明の理だった。
雷火「誰の城で暴れてるんだお前ッ!!」
刹那、眩い閃光。
轟音と共に稲妻が竜を貫いた。
見れば雪彦の後ろで雷火が青筋を浮かべ構えている。
主の城に擦り傷がつくことすら嫌なのだろう、彼が放った雷は一撃で竜を即死させた。
動かなくなった、とはいえその竜が巨体なのは変わらず。
このまま落下すれば建物も地面も無事では済まないだろう…
雪彦「まったく…」
慌てる様子もなく、雪彦は一歩前へと踏み出す。
ぱきり、ぱきりと乾いた音を立てながら空気中の水分が急激に冷えていく。
杖を振るうことはせず、空の雲をなぞるように腕を振るう雪彦。
そして、その動きに合わせ巨大な氷柱が大地から生えるように現れる。
かくして、天空へと伸びた氷柱は竜が落ちるのを阻止した。
串刺しにして、だが…
血が伝い氷塊を赤く染めあげている。
雪彦「竜は解体しておいてください。氷はそのうち溶けるでしょうから。」
雪彦は右往左往していた従者達にそう告げ、懐にいるコユキへと視線を向ける。
コユキ「ユキヒコ様ぁ…たすかりましたぁ」
ひんひんと情けなく泣きべそをかいていたコユキにもれる本日二度目のため息。
雪彦「貴方はいつになったらしっかりしてくれるのです?幼竜の頃から教育しているのに、いつまで経ってもこれでは困ります。」
コユキ「ごめんなさぁぃ…」
腕の中のコユキが雪彦の厳しい声色に困り顔で身を縮めた。
そうしていると本当に毛玉のようで、言い訳するように小さく震える羽毛が肌をくすぐった。
いつの間にか近寄ってきていた雷火が雪彦の腕の中を興味津々で覗くが、努めて無視をする。
雪彦「それで、ここに来たからには何か伝達があったのでしょう?」
ハッとしたコユキは弛んでいた顔を引き締めて告げる。
コユキ「情報をお持ちしてまいりました!」