緋の章 第15話
- 主催
- 2024年12月11日
- 読了時間: 4分
陽の光を遮る灰色の曇天が空を覆い尽くし、どこか重苦しい気配が漂う。
凪いだ風が静寂を支配し、それが嵐の前触れであることを暗示していた。
そびえ立つ堅牢な城壁。その上に立ち、眼下を見下ろしているのは、睦月、雪彦、清風を筆頭とする朧煌軍の軍勢だ。戦意を示すように揺れる旗が曇天の中でかすかに光る。
睦月「北の防衛には行かなくていいんですか?」
その声に焦燥感はない。事態を確認するための、いや
ここにいるはずない相手を煙たがる声色だった。
雪彦「そんなに戦場を独り占めしたかったんですか?もう済ませてしまいましたよ」
鼻で笑いながらも、あっけからんといったご様子。
雪彦「伝達に相違があったのか知りませんが、向こうが間抜けだったようで…丸ごと氷漬けにして終いです」
丸ごと?と清風が会話に入ってくる。
雪彦「えぇ、戦場丸ごと。北の地形からして攻め込める経路は限られていますからねぇ…当分は問題ないでしょう」
雪彦は肩をすくめ、飄々とした態度で言い切った。それに対し睦月は皮肉めいた笑みを浮かべる。
睦月「はは、随分と北は舐められていたみたいですね」
雪彦「お陰様でこちらに加勢できますよ。中々に厄介そうな巨竜を拵えてきたようですし」
戦場を前にしたとは思えないほど平然と会話を交わしている。だが、その瞳は笑っていない。静かに、そして確かな闘志が宿り、炯々と鋭く光を帯びている。
参謀として頭脳派と評される雪彦ですらこの様子なのだから、月緋の家臣たちはおしなべて戦闘狂ぞろいなのだ。それを象徴するかのように、周囲に控える部下たちもまた、主たちの闘志に引き込まれ、士気を高めている。
雪彦「戯れはこの辺でいいでしょう」
雪彦が静かに呟き、視線を遠方へ向ける。
その目に映るのは、地平線を埋め尽くす敵の軍勢。
空気が変わる。
曇天の下で、これまでの軽やかな言葉の応酬は薄れ、張り詰めた静寂が満ちていく。
いよいよ、正面衝突の戦が幕を開けようとしていた
「迎撃用意__!」
鋭い指示が城壁に響き渡る。
巨大な弩砲が軋む音を立てながら首をもたげ、敵影に狙いを定める。重厚な動きは周囲の緊張をさらに煽る。
竜兵たちは炎を内に溜め込み、いつでも攻撃を放てるよう準備を整えていた。
空気は限界まで張り詰めている。
先ほどまで吹いていた風さえ、今は沈黙している。
まるで開戦を待つかのように…
不意に、風上の鳥が高らかな鳴き声を上げる。清らかで軽やかなその声が、重々しい緊張を切り裂いた瞬間__
「撃て――ッ!!!」
声を張り上げた指揮官に続くように、鬨の声が城壁から湧き上がる。それを合図に、撃ち合いの戦いが始まった。
砲丸が地鳴りを伴いながら城壁から放たれる。弩砲の衝撃波で、付近の瓦礫が微かに震えた。赤熱した火球が次々と飛来し、空を赤く染める。だが、それらを竜兵たちが鋭い火炎弾で迎撃し、次々と打ち返していく。
戦場の空気は一変した。つい先ほどまでの涼しさは消え去り、今や熱気が全てを支配している。揺らぐ陽炎が視界を歪ませた。
戦意を煽られ、我先にと城壁から飛び降りる清風。
宙を舞う彼の姿が陽光を受けて一瞬だけ煌めく。だが、次の瞬間、その姿は猛々しい竜へと変貌を遂げた。
清風の咆哮が戦場を震わせる。
その巨大な翼が空気を裂き、咆哮とともに振り下ろされるたびに、大気が震え、敵の放つ火球や矢の雨はすべて弾かれ、地面へと無力に落ちていく。
その様はまさに風の壁そのものだった。
「すげぇ!」
「敵の攻撃を防ぎきった!」
「新兵共!集中しろ!!」
家臣の圧倒的な力を前に、兵士たちの間に歓声が湧き上がった。
場の雰囲気にいてもたってもいられなくなったのだろう。
楽しそうに口角を上げ、睦月も城壁から飛び降りる。
人の姿から瞬く間に漆黒の鱗をまとった竜へ。
彼は降下した勢いを殺さず、敵竜へと狙いを定める。
囲まれることも構わず敵陣へと真っ先に急襲するその姿は、まさに戦いに飢えた戦鬼そのものだった。
その姿を見届けた雪彦が、溜息交じりに苦笑を浮かべる。
雪彦「まったく、何奴も此奴も欲を抑えられていない……」
コユキ「戦う時だけ、みんな怖くなるね……」
後ろに控えていたのだろう。
その大きな瞳はどこか怯えたように彼らを見つめている。普段の穏やかな姿とはまるで別人のような、彼らの戦場での表情がコユキには馴染めないらしい。
健全な小竜なら至極真っ当な感性だ。
それはそれとして一仕事行ってもらわねばな、と雪彦はコユキに指示を出す。
城壁から飛び立ったのを見届けて、雪彦も己の竜に騎乗し前線へと続いた。