月明かりだけが頼りの薄暗い廊下を渡っていく。
昼は鮮やかだった庭園が、夜と闇に染まって静まっていた。
夜風にそよぐ髪を鬱陶しげにかきあげた彼は、彼女のいる部屋へと足を運ぶ。
襖を開ければすぐ目の前に彼女は立っていた。
月緋 「なんだ、待っていたのか?」
そんな言葉を無視して「黒の魔竜の封印が解かれたって本当?」とすかさず聞いてくるアグネス。
その目はどこか怯えの色を含んでいる様子だった。
日中、侍女の人達がずっとその話を口にしてて、と付け足される。
月緋はその言葉にどこか考え込む素振りを見せ、彼女の赤髪を乱雑に撫でる。
月緋 「お前もあのおとぎ話を知っていたのか」
アグネス 「知っているわよ、有名だもの」
月緋 「所詮、おとぎ話だろう?」
アグネス 「…本当にただのおとぎ話なの?」
月緋 「……全てが作り話というわけではないかもしれんが…そんなに怯える必要はなかろうに」
どこか弱気なアグネスの姿が珍しく、彼はつい意地悪を吐く。
アグネス 「…ぅ、しょうがないでしょ…幼い頃に散々聞かされてきたものよ。怖いものは怖いわ」
月緋 「わからないな。おとぎ話など興味がないから内容など覚えておらん。」
かの有名な騎士のおとぎ話。
その中に出てくる不死身な黒の魔竜は、騎士の味方を全員喰い殺した。
魔竜を殺すことができないのならと、騎士はその魔竜をとある洞窟に永遠に封じ込めてしまったという話だ。
絵本に描かれたその恐ろしき姿を、子供達は恐怖の象徴としてよく覚えているだろう。
アグネス 「私も小さかった頃は、よく養母に「言うことを聞かないと黒の魔竜が来て食べられちゃうわよ」と脅されたものだわ…」
月緋 「今も怖がっているなら童から成長してないということか?」
月緋がからかうように笑う。
乱雑に敷かれた布団を正して、彼はそこに横たわった。
アグネス 「…え、なんで…急に何…?」
その行動に対してアグネスは首を傾げた。
月緋 「怯えて眠れぬようじゃ可哀想だと思ってな、添い寝でもしてやろうと思っただけだ」
ほら、と彼は誘導するよう隣の空間を手で叩く。
彼女は何か渋っていた様子だが
「アグネス」と名を呼ばれ、ついに彼の傍に身を寄せた。
布団をかけ子供を寝かしつけるように相手の背を撫でる。
月緋 「大丈夫だ。今はただのおとぎ話でしかないのだから。」