「その歌は…?」
悠々とした草原が広がる場所で一人、ディランがテントを組み立てていると薪集めから帰ってきたアダムに声をかけられた。
優しく吹きつける風が心地好く、つい上機嫌で鼻歌を歌っていたところを見られてしまったようだ…
ディラン 「えっ…あ、おかえりなさい…!」
歳不相応なところを晒してしまって気恥ずかさが声に混ざる。
そんなディランを、小脇に薪を抱えたままじっと見つめるアダム。
えっと、そんなに見られると恥ずかしいんだけどな…とディランは少しソワソワしている。
アダム 「…何を歌っていたんだ?」
ディラン 「き、気が付いたらよく口ずさんでいるんだ。別にどこかで覚えたわけでもないんだけど……その、聞いたことがあったり?」
ディランはテントを張る作業をささっと済ませながらアダムの方を見れば、きょとんとしたような表情をしていた。
アダム 「いや……ただなんとなく気になった、だけだ。……すまん、気にしないでくれ。」
そう言い終わると彼はせっせと薪をくべ始める
夕暮れ時だ。焚き火を準備するには丁度いい時間だろう。
音葉もそろそろ川から帰ってくる頃だろうか…
ディラン 「ありがとうアダムくん、火をつけるのは私がやるよ」
ディランがそう言い終わる前に彼は焚き火に魔術で火をつけてしまった。
それも術式を使わずいとも容易く…
アダム 「先生にはあまり魔術を使わせるなと音葉が言っていたからな」
ディランを横目で見てフッと笑う彼。
二人に気を遣わせていることが申し訳なくてディランは上手く笑い返せなかった。
しかし、随分と細かな操作も上達したものだ。
アダムと出会ってからはや1ヶ月。
ノーベス南部を巡っているうちに怪我や体調もすっかりよくなっている。
一箇所気になるところを除けば…だが…
ディランは自身の持つ基礎知識から魔術を教えていたりするが、とても飲み込みが早いもので…。
術式を見せれば大抵は一発で扱えるようになってしまう。
アダムの魔術回路が優秀なせいもあるだろうが、彼自身物覚えが良すぎる…
優秀な生徒が一人増えたようでディランが密かに嬉しくなっているのはここだけの話だ。
ディラン 「あ、そういえば丁度いいのが…」
今朝見つけたとあるものを思い出し、ディランがポーチから何やら取り出した。
アダムが不思議そうに見つめるそれは、緑と青の光を反射する鉱石の塊だ。
ディラン 「新しい魔術を教えるよ」
6cmある菱系の鉱石を気合いで真っ二つに割る。その片方をアダムに握らせるディラン。
素手で割ったのが驚きだったのかなんとも言えないような顔をしているアダム。
アダム 「これは?」
困惑している彼から5m離れたところに立つ
ディラン 「今朝拾った珍しい鉱石だよ。モース硬度が低いから手で割れるんだ。」
ディランは割れた鉱石を握り、魔力を込めながら彼に声をかけた
ディラン 「よく見ててくれ!」
鉱石が熱を帯びた次の瞬間、先ほどと見ていた景色が僅かに変わった。
ディランの隣にはテントと焚き火。その5m先に唖然としたアダムが立っている。
先程と位置が逆転していた。
アダム 「位置を入れ替える術式か…?」
持っている鉱石と相手を交互に見るアダムに、ディランは思わず笑みが零れてしまった。
ディラン 「凄いだろう?物質構成が同じものを持つ者同士の位置を交換する魔術だよ。」
アダム 「興味深い…物質構成が同じなら確かに一つの鉱石から取ったものを使った方が容易いな…制限は?」
ディラン 「物質構成が近ければ近いほど精度が上がるし交換可能な距離も伸びる。あまりに遠すぎると魔術に使ったものは粉々になってしまうから注意だよ。」
アダム 「ふむ…発動した時に熱を持ったな。しかし、ごく少量の魔力で使えるのは凄い…。
先生が発明したのか?」
鉱石を手の中で転がしながら、焚き火を囲んで座るアダム。
彼と意気揚々話していた向かいのディランはそこで初めて言葉を詰まらせた。
ディラン 「いや…私は術式を簡略化しただけだよ。元は僕の生徒が考えたものでね…」
伏せられた彼の目。懐かしむような様子を、アダムは焔越しに見つめている。
ディラン 「好奇心旺盛で賢い、良い生徒だった。」
ぱちぱちと薪が弾ける音だけが響く時間
このまま無言が続くかと思いきや、ディランがパッと顔を上げた
ディラン 「まだ音葉が戻ってこないね。もうそろそろだと思ってたんだけど…魚取るのに苦戦してるのか…な…」
不自然に途切れる彼の言葉。
その視線の先はアダムだ。
正確には、彼の双眸。
訝しむように細められる目。
アダムは居心地の悪さを感じる。
ディラン 「アダム…君さ、その目__」
言葉が続かないうちに、遠方から大きな水柱が上がった。
「ウワァァァア!!」
ほぼ同時に上がる野太い男性の絶叫。川の方角からだ
音葉が…!
ディランは立ち上がり駆け出した
ディラン 「ごめんねアダム!そこでテントを見張っていてくれ!」
お腹を空かせた彼一人を残して…
音葉は悔しそうに拳を握り締めた。
山賊五人に囲まれているせいではない。
苦労して採った今晩の食事が自分のせいで無くなったからだ。
空高く上がった水柱はまるで雨のように降り音葉の体を濡らす。
今しがた、襲いかかってきた山賊を一人川に流したところだった。
メインディッシュのデカいサーモンと共に…。
川の水を扱って退けたものはいいものの、
魔力の出力加減を誤り置いていたものを籠ごと待ってかれるとは。
いや、今悔やんでも仕方がない…早くこの場をどうにかして先生に謝らなければ…
また一人襲いかかる山賊に音葉は水の塊を浴びせ木に叩き付ける。
間髪入れずに距離を詰めてきた次の男。
すかさず音葉は構えたが、次の瞬間その体は横へと吹き飛んでしまった。
ディラン 「音葉!」
見ればディランが駆け付けてきていた。風で吹き飛ばしたのだろうか。
音葉 「先生!無理しないでください!」
__先生を気にかけたいところだが先に危険を退けなきゃいけない。
駆け出そうとした山賊二人、その踏み出した足元の地を操り崩せば、思い切り地面に体を叩き付け悶えた。
そのまま小さな土流で流そうとしたその時
山賊 「動くな!」
残った一人がディランを人質に捕えその首元にナイフを突きつけていた。
音葉 「先生っ!」
困ったように笑うディラン。
だが、次の瞬間そこにいたのはアダムだった。
山賊 「は?」
山賊の腑抜けた声。
刹那、アダムはその腕を掴むと綺麗に背負い投げを一本決めた。
勢いのあまり地にヒビが入る。
背中から叩き付けられたその男は激痛のあまり悶えるのもままならない様子。
先程地に転がされた残党がアダムの背後から襲いかかるが、呆気なく足払いされ体勢を崩されたところに喉仏に膝蹴りを入れられた。
見ていた音葉は、自分がくらったわけではないのに喉から「カヒュ」と息を漏らした。
最後の一人が拳を振るうも身を捻って躱され、顎に掌底突きが入り倒れた。
後ろから見ていたらしいディランは走ってきたからか僅かに息を切らしている。
ディラン 「やっぱり強いねアダムくんは…もう、使いこなせるようになってるんだね」
アダムが自分の服の土埃を叩き落とす。
アダム 「成功はしたが、鉱石を粉々にしてしまった…すまない」
ディラン 「気にしないで!ところで音葉!大丈夫かい?」
呆然としていた音葉はディランに肩を優しく掴まれ、怪我はないかと心配された。
音葉 「すみません…今日の食料、川に流れてしまいました…」
この後、それを良しとしなかったアダムが伸びていた山賊から金品を巻き上げた挙句
「俺は腹が減っているんだ」と二人を巻き込んで川で魚採りを始め
幻のピラルクをゲットした代償にディランが足を滑らせ腰を痛めたのはまた別のお話だ。
「よくそれで戦えたね。」 「まだ、見えるからな。」